ただ、言えること。

 9月だというのに、その日は暑かった。そして、少し風が強かった。

 黒いスーツを身に纏う親族一同。線香で煙った式場。陰気なお経と木魚がその意味を訥々と伝える。そして、抜けるような清清しい青空だけが裏切っていた。いや、その清清しさも今の自分には感じることはなかった

 参加者の焼香が済み、最後のお別れが告げられる。孫にあたる少女が書いたスケッチブックの絵。毛布のように敷かれた数枚のその上に、参列者たちが花を敷き詰めていく。一輪。また、一輪と花に埋もれていった。

 蓋で閉められ棺が霊柩車へ運ばれる。思った以上に両手に圧し掛かるその重さ。お棺に遺体を移した時のことを思い出させた。それなりの筋力を持っていたはずなのに、運ぶ自信が自分にはなかった。

 ある小説に書いてあったのだが、最近の焼却所には煙突がない。色々な配慮のためとのことだったが、煙にならない遺体はどこに行くのだろう?とも書いていた。しかし、煙になろうとならないとも、本当にどこへいってしまうのだろう?

 他人の幸せをどうこう言える立場ではないのだが、おじさんは人並み以上に幸せだったと思う。参列した家族、親族、友人を見ているとそう思えた。

 おじさん、色々とお世話になりました。そして、心からのご冥福をお祈り申し上げます。